2021年1月茨城新聞で「めぐりあう 県内里親の今」という連載が始まりました。
二回目は、守谷市在住の市原さん(仮名)です。
写真は生後10日の男の子を迎え入れて育てた市原洋子さん(仮名)=守谷市内
出典:茨城新聞(2021年1月18日 (月) )
ただ産んでいないだけ
■育てたのは「自分」
守谷市に住む市原洋子さん(67)=仮名=は、実子3人の子育てが一段落した頃、「養育里親が足りていない」と書かれた新聞記事を読み、里親に登録した。生後10日で迎え入れ、春樹さん(18)=仮名=を育ててきた。
市原さんはPTA活動や子どもの非行防止に関するボランティアを通し、「子どもが小さい時に大人が大切に愛していたかどうかが、中学生ぐらいで出てくるんじゃないかと思っていた」。
塾経営の経験もあり、子どもが自宅を出入りするのは当たり前だった。里親への登録を家族に相談すると「お母さんに合ってるよ」と快諾された。
程なくして、生後10日の男児を迎え入れる打診があった。乳児院内でインフルエンザが流行して受け入れられず、急きょの措置だった。
育児自体はお手のものだったが、春樹さんが1歳半の時に発育の遅れを感じた。
2歳まで待って病院で診てもらうと、発達障害と指摘された。春樹さんの実母は産む前に何ら検査をしておらず、原因も調べられなかった。
その後、自閉症やアスペルガー症候群、ADHDなども分かった。
いきなり倒れることもあり、「私が産んでいたかった」と何度も思った。実母が春樹さんを妊娠中、栄養のある食事を十分に取らず、劣悪な環境で働いていた可能性があり、そのことと障害に因果関係があるのではないかと考えているからだ。
小中学校では友人関係で問題を起こしたり、家庭で暴れたりした。市原さん自身も突き飛ばされてけがを負い、春樹さんが一時保護されたこともあった。
一方で、小学生の頃は1年に100冊の本を読んだり、ランドセルを背負ったまま、新聞の夕刊を1時間読み続けたりと、知識欲と集中力に驚かされた。
「(実子の)3人を育てただけでは知らなかった世界を見せてもらった。50歳を過ぎてからの人生が豊かになった」
実母は春樹さんが2歳になる前に音信不通になったが、曲折を経て2019年に春樹さんを含めて面会した。
春樹さんは実母に「いろいろあったけど、産んでくれてありがとう」と感謝を口にした。「そういう言葉が出るように育ててきたから」
市原さんは「私はただこの子を産んでいないだけ」と語る。育ててきたのは実母でも他の誰でもない、自分だ。
出典:茨城新聞(2021年1月18日 (月) 記事)